古旅 日本の古い町並み

広島城(広島県広島市)


2023年6月6日  , 広島県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★47

城保存度
★★★★★
★★★★★40
原子爆弾投下によって石垣を残して全ての建造物が焼失しましたが、二の丸表御門など古い手法を用いて忠実に再現された建築物を見ることができます。
城の規模
★★★★★
★★★★★60
広い堀や石垣や門跡などからかなりの規模の城であったことがわかります。復元された天守閣も大変立派なものです。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★50
復元された天守閣や二の丸表御門は美しく一見の価値があります。また平和記念公園からも近く市内観光にも便利です。

1589年(天正17年)、中国地方の大半を領有していた毛利輝元は水陸交通の便のよい太田川河口の三角州に築城を開始しました。
前年の1588年(天正16年)に毛利輝元は豊臣秀吉の招きに応じて大坂城や聚楽第を訪れており、このときに新しい城を造ることを決意したと言われています。

毛利氏は関ヶ原の戦いで減封されて広島を去りますが、1600年(慶長5年)城主となった福島正則によって改築が行われるとともに城下町の整備が本格的に行われました。
しかし、1619年(元和5年)洪水被害の修復工事が無届けであると幕府から咎められた正則は改易され信濃国川中島へ転封されてしまいました。
同年、代わって浅野長晟が入城して以来、明治時代に至るまで12代約250年間にわたり浅野氏の居城となりました。

天守閣やいくつかの建物は明治以降も残され、天守閣は1931年(昭和6年)に国宝にも指定されましたが、1945年(昭和20年)の原子爆弾投下によって全ての建造物が焼失しました。
天守閣は1958年(昭和33年)に再建され広島の歴史を紹介する博物館となっています。


広島城(別称:鯉城(りじょう))

目次

広島城(別称:鯉城(りじょう))


二の丸表御門


二の丸表御門(復元)
現在の広島城の入口、二の丸の正面玄関にあるのが表御門です。16世紀末頃の建造と推定される表御門は、1945年(昭和20年)に原子爆弾投下によって焼失するまで約350年間にわたり存続していました。

二の丸表御門(復元)
現在の表御門は平成3年に復元されたもので、焼失後も残っていた礎石の上に昔の工法によって建築されました。

天守閣


広島城天守閣
1589年に毛利輝元公によって築城された天守閣は昭和まで現存しており1931年(昭和6年)には国宝に指定されていました。しかし、1945年(昭和20年)に原子爆弾投下によって倒壊し、現在の天守閣と城内の他の建築はすべて1958年以降に再建されたものになります。

天守閣の礎石
天守閣の礎石
天守閣再建の際に掘り起こした礎石が別の場所に移して保存されています。

広島大本営跡


広島大本営跡
1894年(明治27年)に勃発した日清戦争の戦争指揮のため大本営が広島城内に設置されていました。

裏御門跡


裏御門跡
裏御門も原爆投下までは現存していました。残っている石垣からかなり大きな門であったことがわかります。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR広島駅より徒歩約25分

【市内電車でのアクセス】
広島駅から市内電車で市内電車・紙屋町東電停もしくは紙屋町西電停まで約14分。
市内電車・紙屋町東電停もしくは紙屋町西電停から徒歩15分。

【車でのアクセス】
地下の広島市中央駐車場(下の地図の場所)が便利です。(駐車料金 30分:210円)
広島市中央駐車場から天守閣までは徒歩約7分です。

詳しくは広島城のウェブサイトでご確認ください。



訪問日:2022年11月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、広島城などについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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