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福山城(広島県福山市)


2023年6月15日
, 広島県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★57

城保存度
★★★★★
★★★★★60
築城時の姿を残す筋鉄門や鐘櫓をはじめ、再建された天守、月見櫓、御湯殿などは美しく見ごたえがあります。
城の規模
★★★★★
★★★★★60
福山城はもともと五重天守をはじめ多くの櫓や城門を配する巨城でした。現在はその中心部分のみとなっていますが、天守や石垣からその面影を感じることができます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★50
福山駅前に位置しアクセスがよく、市内観光にも便利です。

福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の1622年(元和8年)に初代藩主水野勝成によって築かれた城で、大規模な近世城郭としては最後のものになります。
1873年(明治6年)の廃城令により廃城となり、ほとんどの施設は民間に払い下げられ、建物は天守、伏見櫓、筋鉄門、御湯殿、鐘櫓、涼櫓などを残すのみとなりました。
1945年(昭和20年)8月の福山空襲により天守、御湯殿、涼櫓など城下に残る多くの文化財と共に焼失しましたが、1966年(昭和41年)に福山市の市制50周年記念事業として天守、月見櫓、御湯殿が復興されました。
筋鉄門や鐘櫓は空襲も免れ、現在も当時の姿を見ることができます。


目次

福山城天守


福山城
五層の天守は1945年(昭和20年)8月の福山空襲により焼失しましたが、、1966年(昭和41年)に地元の人々の寄付により再建されました。

白と黒のコントラストが見事な「鉄板張り」の天守


白と黒のコントラストが見事な「鉄板張り」の福山城天守
初代福山藩主の水野勝成が1622年に築城した際、敵の砲撃に備え天守北側に鉄板を張っていました。このような鉄板張りの城郭は全国で唯一であったとされています。空襲による天守の焼失後、1966年(昭和41年)に再建された際には鉄板は張られていませんでしたが、2022年(令和4年)「鉄板張り」が復元され、鉄板の黒と城壁の白がコントラストをなす往時の姿を見ることができるようになりました。

白と黒のコントラストが見事な「鉄板張り」の福山城天守

福山城天守の礎石


福山城天守の礎石
福山城の旧天守は空襲によって焼失しましたが、この天守の柱を支えていた礎石が天守台穴蔵の中に残されており、 1966年 (昭和41年)の再建の際に天守北側のこの場所に移設され保存されています。旧天守は完成された構造で築かれていて城郭建築の集大成ともいわれています。

櫓と門


福山空襲も免れ現存する筋鉄御門(すじがねごもん)


福山空襲も免れ現存する筋鉄御門(すじがねごもん)
筋鉄御門は本丸に入る正門でした。筋鉄御門は1873年(明治6年)の廃城令での取り壊しを免れ、1933年(昭和8年)には伏見櫓や鐘櫓とともに旧国宝に指定さました。1945年(昭和20年)の福山空襲も免れ、伏見櫓とともに現存する貴重な建造物となっています。

現存する武器庫・伏見櫓


現存する伏見櫓
伏見櫓は築城時に伏見城から移築された櫓の一つで、江戸時代には武器庫として使用されていました。この櫓は1873年(明治6年)の廃城令での取り壊しを免れ、筋鉄御門や鐘櫓(かねやぐら)とともに、1945年(昭和20年)の福山空襲も免れました。現存する建築物として国の重要文化財に指定されています。

現在も現役で搗かれている鐘櫓(かねやぐら)


現在も現役で搗かれている鐘櫓(かねやぐら)
明確な建築年代は不明ですが、水野家時代(〜1698年)後期の絵図には「釣鐘」の表記があります。江戸時代には太鼓も常備されており、半時(約1時間)の太鼓を打ったと「福山領分語伝記」に書かれています。1873年(明治6年)の廃城令での取り壊しを免れ、1945年(昭和20年)の福山空襲も免れ、福山城に現存する貴重な建造物となっています。鐘は現在も自動で搗かれていて、午前6時・正午・午後10時の3回その音色を聞くことができます。

珍しい風呂屋の遺構、御湯殿(おゆどの)


珍しい風呂屋の遺構、御湯殿(おゆどの)
全国的に見ても風呂屋の遺構は珍しいものですが、風呂屋部分は明治以降は料亭として使用されたため内部は改変され詳細な記録はありません。1873年(明治6年)の廃城令による取り壊しを免れ、昭和初期には伏見櫓や筋鉄御門とともに旧国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の福山空襲により焼失しました。現在の御湯殿は、1966年(昭和41年)に天守や月見櫓とともに再建されたものです。

五千石蔵跡に建てられた福寿会館


五千石蔵跡に建てられた福寿会館
この場所にはもともと五千石蔵という幕府から預かった備蓄米を収めていた蔵がありましたが、1750年(寛延3年)に蔵の大半が取り壊され、明治になると周囲の土地は民間に売却されました。現在、五千石蔵の跡地に建つ福寿会館は、海産物商で財を成した安部和助が昭和初期に建築した別荘で、敷地面積は7

五千石蔵跡に建てられた福寿会館

アクセス


【電車でのアクセス】
JR福山駅北口(福山城口)すぐ

【車でのアクセス】
福山城公園駐車場(下の地図の場所)が便利です。
<8:00〜22:00>
最初1時間、30分毎150円
以降30分毎100円
※周辺施設を利用すると1時間無料になります。

詳しくは福山美術館のウェブサイトでご確認ください。


福山城とJR福山駅
宿泊したホテルの窓から福山城が見えました。手前はJR福山駅です。JR福山駅北口(福山城口)を出るとすぐに福山城の石垣が見えます。夜は写真のようにライトアップされ昼間とはまた違った美しい福山城の姿を見ることができます。




訪問日:2022年11月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、広島城などについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


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