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加世田麓の町並み(鹿児島県南さつま市)
加世田麓の町並み(鹿児島県南さつま市)

町並み保存度
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多くの武家屋敷は建て替えられていますが、水路沿いに石垣や美しく整備されたイヌマキの生垣に往時の雰囲気を残しています。
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町並みの規模
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古い町並みが残る地域はそれほど広くありませんが、自然の地形を活かした加世田麓ならではの町並みが残されています。
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観光魅力度
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用水路に架かる石橋など加世田麓ならではの景色があり、江戸期から昭和まで色々な時代のレトロな建物が残る町並みを楽しめます。
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江戸時代、薩摩藩は鶴丸城を本城とし、領内の各地に「外城(とじょう)」と呼ばれる行政区画を設けて統治しており、加世田麓はその外城の一つとして栄えました。
二つの山城に挟まれた自然地形に沿って曲線を描く街路や用水路、街路と武家門をつなぐ用水路の上にかけられた石橋などの景観が加世田麓の特徴です。
加世田麓には今でも水路沿いに石垣やイヌマキの生垣や武家門が残され近世以来の姿をよく留めていることから、2019年(令和元年)に国の重要伝統的建造物群に選定されました。
加世田麓 益山用水と石垣の町並み

自然地形に沿って曲線を描く用水路や街路は加世田麓ならではの町並みを形作っています。
用水路に沿ってカーブを描く通りに沿って武家屋敷が点在しています。
水路沿いに石垣や美しく整備されたイヌマキの生垣に往時の雰囲気を残しています。
益山用水に架かる石橋をわたって武家門をくぐる景観は加世田麓でしか見ることができません。
旧鯵坂正一郎邸

1903年(明治36年)頃に加世田小学校の校長だった鯵坂正一郎が建てた武家住宅で加世田麓の武家屋敷の造りを良好に受け継いでいて、石垣や生垣は当時のものが残っています。
表門をくぐると存在感のある大きな蔵が正面に現れます。
仁王像のある屋敷

仁王像のある屋敷。この門を入って左にあります。
この仁王像は、日新寺(じっしんじ)の大火の翌年(1799年(寛政11年))に再建されたもので、日新寺の大門の前にあったものです。この口を開いた「阿」の左像は、廃仏毀釈の時に個人の屋敷に移されたので残っていますが「吽」の右像は所在不明です。
「下ん仮屋」と呼ばれた昔の姿を残す数少ない武家屋敷

「下ん仮屋」と呼ばれた昔の姿を残す数少ない武家屋敷です。この武家屋敷は石橋を渡った先がすぐ門ではなく階段がありその奥に門があります。非常に大きな屋敷で門の形状からも格式の高さがうかがえます。
藩士の宿泊所でもあった地頭仮屋

薩摩藩は外城に地頭をおいて治めさせていました。地頭仮屋はその地頭が勤める場所であり、藩士やその一族の宿泊所でもありました。加世田の地頭仮屋は当初は別府城跡にありましたが、1727年(享保12年)にこの地に移されました。1872年(明治5年)に地頭職が廃止され、建物も1878年(明治11年)頃取り壊されました。
鮫島博家住宅

明治前期(明治10年)頃に建てられた武家住宅で江戸期の武家屋敷の造りを受け継いだ建築になっています。石垣や生垣は当時のものが残っています。
植え込みが巨木に生長していることからも歴史を感じます。
築約100年の洋館・旧鯵坂医院

鯵坂正一郎の実弟の鯵坂茂彦が、1926年(昭和元年)に建てた旧鯵坂医院の洋館。現在はギャラリーカフェpoturiとして使用されています。
アクセス

【バスでのアクセス】
鹿児島市の「鹿児島中央駅」から鹿児島交通のバスで加世田まで約1時間30分。
詳しくは南さつま市観光協会のウェブサイトでご確認ください。
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(竹田神社駐車場)があります。
訪問日:2023年2月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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