【城感動度】 |
城保存度
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城跡には月見櫓、水手御門、渡櫓や艮櫓とともに石垣や堀などが残り国の史跡に指定されています。 | |
城の規模
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玉藻公園は往時の城域の8分の1ほどの広さではありますが、それでも広大で多くの見どころがあります。 | |
観光魅力度
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城跡に残された様々な史跡の見学だけでなく、海とつながる堀ではタイやチヌへのエサやり体験もできます。 |
1587年(天正15年)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正はこの地を高松と改め、翌年の1588年(天正16年)から高松城の築城を開始しました。
設計は、築城の名手であった黒田孝高とも細川忠興ともいわれ、三重の堀をもつ堅固な構えとなっていました。瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、今治城(愛媛県今治市)・中津城(大分県中津市)と並んで日本の三大水城のひとつといわれています。
生駒氏の治世は4代・54年間続きましたが、1640年(寛永17年)に生駒騒動といわれる御家騒動により、讃岐一国を没収され、出羽国(秋田県)矢島1万石に移されました。
代わって徳川家康の孫にあたる松平ョ重が東讃岐12万石の領主として入城しました。以降11代228年間にわたり、高松は松平氏の城下町として栄えました。
城跡は昭和30年から高松市立玉藻公園として一般公開されています。玉藻公園は往時の城域の8分の1ほどの広さではありますが、城跡には重要文化財の月見櫓、水手御門、渡櫓や艮櫓とともに石垣や堀などが残り国の史跡に指定されています。
目次 ・桜御門 ・水門 ・鞘橋 ・天守閣跡 ・アクセス |
栗林公園は高松城(玉藻公園)から南へ約2.5kmの場所にあります。
総面積約23万坪の広大な敷地を誇る栗林公園は、16世紀後半にこの地の豪族であった佐藤氏によって築庭されたことにはじまり、1625年頃、讃岐領主・生駒高俊によって現在の庭園の原型が形作られました。
生駒氏に代わって高松に入封した初代高松藩主の松平頼重に引き継がれ1745年5第頼恭の時に完成し、明治維新までの228年間松平氏の下屋敷として使用されました。
1875年(明治8年)に県立公園として一般に公開されるようになり現在に至っています。
【電車でのアクセス】
JR高松駅下車、徒歩5分
ことでん高松築港駅下車、徒歩2分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に玉藻公園專用駐車場(無料)があります。
※玉藻公園に入園中のみ利用できます。
詳しくは高松市のウェブサイトでご確認ください。
訪問日:2023年1月
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