古旅 日本の古い町並み

佐伯城と城下町(大分県佐伯市)


2023年12月11日  , 大分県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★57

町並み保存度
★★★★★
★★★★★50
三の丸以外の建物は明治に撤去されていますが、見事な石垣が残されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★70
標高144メートルの八幡山の山頂に広がる石垣は素晴らしくその規模に驚かされます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★50
山頂の石垣を見るには軽登山が必要ですが、一度は訪れる価値が十分にあります。

佐伯城は江戸時代初期の1606年(慶長11年)に毛利高政によって築かれた山城です。
毛利高政は関ヶ原の戦いにおいて東軍(徳川方)についたことで、1601年(慶長6年)に2万石が与えられ豊後佐伯藩初代藩主となりました。
当初は前領主佐伯氏の旧居城であった栂牟礼城(とがむれじょう)に入城しました。
しかし、栂牟礼城は険しい山城で不便であったため、新城の築城に取り掛かり1606年(慶長11年)に佐伯城はほぼ完成しました。

1871年(明治4年)に、佐伯城は廃城となり、三の丸以外の建物はすべて払い下げられ撤去されました。
現在は、山頂主郭部の石垣と麓にある三の丸跡の石垣、建物は三の丸櫓門のみが残されています。


目次

佐伯城


佐伯城三ノ丸櫓
佐伯城三ノ丸櫓

佐伯城・登城の道
佐伯城・登城の道
佐伯城は標高144メートルの八幡山に築かれた山城です。三の丸からは3通りの登城道があり体力に応じてルートを選択できます。江戸時代から使用されてきた道を歩きたい場合は「登城の道」になります。約15分ほどで山頂付近の石垣が見えてきます。

佐伯城跡石垣
建造物は残されていないものの、山頂に現存する石垣は見ごたえ十分です。

佐伯城・本丸跡
佐伯城・本丸跡
本丸跡の石垣は迫力があります。手前の階段は後年神社化される際に造られたもののようです。

本丸と二の丸の間は堀切で断ち切られていて廊下橋が架けられています。

城下町の面影が残る「歴史と文学のみち」


佐伯城の麓
佐伯城の麓には、江戸時代から佐伯藩の上級藩士の住む屋敷が建ちならび、現在も当時の面影残す景観を見ることができます。

国木田独歩館(写真左)
国木田独歩館(写真左)
この建物は、1839年(天保10年)に建てられた佐伯藩の別荘「御浜御殿」を、1870年(明治3年)に現在地に移築したもので、藩の重臣の家系であった坂本家の住居として長く使用されました。
国木田独歩は1893年(明治26年)10月から翌年7月末まで佐伯市の鶴谷学館で教師をしていました。また、この屋敷の所有者は坂本永年は鶴谷学館の館長を務めていました。そういった縁もあり旧坂本家の屋敷を改修して2003年(平成15年)に「城下町佐伯国木田独歩館」を開館しました。

山中家屋敷
山中家屋敷
この漆喰の塀は1826年(文政9年)の絵図にも確認できる山中家屋敷のものです。その長さからもその広大さがうかがえます。1996年(平成8年)まで現存していた屋敷は今は撮り壊れていますが、当時の礎石や縁石、庭石が残されています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR日豊本線・佐伯駅から徒歩約25分
(駅前の観光案内所にはレンタサイクルもあります)
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(佐伯市歴史資料館 駐車場)があります。



訪問日:2023年3月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、佐伯城についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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