【城感動度】 |
城保存度
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天守台を含め石垣や堀の多くは現在も往時の姿を留めています。 追手門や追手向櫓は復元されたものですが、見ごたえがあります。 |
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城の規模
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城の規模は大変大きなもので、大和国の政治・経済・文化の中心であった時代の面影を感じます。 | |
観光魅力度
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近年発掘調査された天守台や追手門や追手向櫓など見ごたえがあります。 また城の周りには古い町並みも残されていて城下町の散策を楽しめます。 |
郡山城は、1580年(天正8年)、筒井順慶のよって大和国唯一の城郭として築城が開始され、1585年(天正13年)に入部した豊臣秀長によって本格的に整備されました。
豊臣期に郡山城が築造された理由は、大坂城の防衛を目的として大和の支配を確率するためだったといわれています。
江戸時代に入ると、大阪や京都に近い要衝として幕府に重要視され譜代大名が相次いで城主を務めました。
1724年(享保9年)には、甲斐国甲府より柳澤吉里が入部し、以降幕末まで安定した治世が続き、大和国の政治・経済・文化の中心地として繁栄しました。
現在は桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されているほか、2017年(平成29年)には続日本100名城(165番)に選定されました。
目次 ・郡山城 ・石垣と堀 ・極楽橋 ・アクセス |
天守台の石垣は野面積みで、自然石の他に多くの転用石が使われているのが特徴的で、石仏や墓石まで使用されていて、中でも地蔵を逆さにした状態で埋め込んだ「さかさ地蔵」が有名です。
2014年(平成26年)の発掘調査で礎石が発見されるまでは、天守が実在していたかどうかも不明であったため「幻の天守」といわれてきました。
【電車でのアクセス】
近鉄・大和郡山駅から徒歩約10分
JR・郡山駅から徒歩約15分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(郡山城駐車場)がありますが、停められる台数が7〜8台と少ないのでご注意ください。
訪問日:2022年8月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、郡山城や大和郡山についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。