【町並み感動度】 |
城保存度
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明治の廃城令後、建物が取り壊されたのは残念ではありますが、山上にこの規模の石垣がのこされているのは一見の価値があります。 | |
城の規模
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登山道に続く石畳を歩くと大変な規模であることが実感できます。 | |
観光魅力度
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岩村城下町とともに散策が楽しめます。 |
岩村城跡は江戸諸藩の府城の中でも最も高い標高717mに築かれ高低差180mの地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、高取城(奈良県)、備中松山城(岡山県)とともに日本三大山城に数えられています。
霧の湧き易い気象までも城造りに活かされていることから別名「霧ケ城」とも呼ばれています。
鎌倉幕府に源頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝によって建造され、明治の廃城令で廃城され1873年(明治6年)に解体されるまで700年間に及ぶ長い歴史がある城でもあります。
戦国時代末期には団忠正や河尻秀隆が城主となり江戸時代には岩村藩の城となりました。
目次 ・岩村城跡 ・アクセス |
岩村城のふもとには岩村城下町が広がります。
岩村城下町についてはこちら
【電車でのアクセス】
明知鉄道岩村駅から岩村城跡登上口まで徒歩約30分
【車でのアクセス】
中央自動車道恵那IC下車20分
岩村城跡登城口に無料駐車場があります。
訪問日:2021年11月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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