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明石城(兵庫県明石市)


2023年8月9日  , 兵庫県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★53

城保存度
★★★★★
★★★★★50
日本に12基しか現存していない三重櫓のうちの2つが明石城にあり国の重要文化財に指定されています。大規模な石垣は一見の価値があります。
城の規模
★★★★★
★★★★★60
明石城の高石垣は東西の幅が380mもあり石垣からも大変な規模であったことがわかります。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★50
明石駅のすぐ北側にあり、明石の市内観光にも便利な場所にあります。すぐ近くの魚の棚商店街は明石の観光地として有名です。

明石城


1617年(元和3年)に明石藩主となった小笠原忠政(後の忠真)は、明石川河口にあった船上城に入城しました。
外様大名の多い西国の備えとして城郭を建設するよう第2代・将軍徳川秀忠によって命じられ、1619年(元和5年)に築城を開始し、同年年末に本丸御殿が完成し、忠政は船上城から移りました。
1632年(寛永9年)に小笠原氏が豊前小倉へ転封となってから、しらばくの間は藩主が目まぐるしく入れ替わりますが、1682年(天和2年)に松平直明が越前大野からで入封して以降は、明治維新まで10代にわたって松平家が藩主を継ぐようになりました。
最後の明石城主は松平直致で、1874年(明治7年) 廃城令により廃城となりました。


目次

明石城の高石垣


明石城の高石垣
明石城の高石垣は東西の幅が380mもあり石垣からも大変な規模であったことがわかります。幕府が当初築いた石垣には主に花崗岩が使用されており、後に明石藩によって修復された部分には主に凝灰岩が使用されています。石垣を美しく見せるため、櫓台の出角部分にはノミで稜線を尖らせる「江戸切」という手法が用いられています。

坤櫓 (ひつじさるやぐら)


坤櫓 (ひつじさるやぐら)
伏見城から移築されたと伝えられている坤櫓は、城内で最大規模の3重櫓で天守が築かれなかった明石城では天守の代用とされていたようです。

坤櫓
この櫓は城の南西にあり、南西の方角は未(ひつじ)と申(さる)の間であるため、坤(ひつじさる)櫓と呼ばれています。

巽櫓(たつみやぐら)


巽櫓
本丸の巽の方角(南東)に築かれた3重櫓で、坤櫓より少し小さくなっています。現在の巽櫓は再建されたものですが、もともとの櫓は船上城から移築されたと伝えられています。

織田家長屋門(おたけながやもん)


織田家長屋門(おたけながやもん)
明石公園をでてお堀沿いに西に進むと「織田家長屋門」があります。このあたりは明石藩の家臣や重臣たちが住む武家屋敷町であったようです。江戸時代初期に建てられたこの長屋門は船上城から移築されたものと伝えられています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JRもしくは山陽電車の明石駅を下車し、北へ徒歩約5分です。
【車でのアクセス】
下の地図の場所に「P1南(協会)駐車場」(有料:1時間毎:200円)があります。
料金等詳しくは明石公園のウェブサイトでご確認ください。

訪問日:2023年1月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、明石城についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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