古旅 日本の古い町並み

温泉津の町並み(島根県大田市)


2024年9月18日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 島根県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★73

町並み保存度
★★★★★
★★★★★70
江戸・明治・大正・昭和それぞれの時代の建物が立ち並ぶ町並みは見事に保存されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★70
古い町並みのエリアが1km近くに渡って続きます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★80
伝統的な町屋や廻船問屋と昭和の風情を感じる温泉旅館が建ち並ぶ町並みは非常に魅力です。

温泉津地区は、その名前が示す通り、古くから温泉が湧き出る場所として知られていました。また、石見銀山への生活物資や資材を供給する港町としても発展してきました。江戸時代には北前船の寄港地として繁栄し、その時代の町の区画が今もよく残っています。町屋や廻船問屋などの伝統的な建物も多く見られます。
石見銀山閉山後、温泉津は温泉町としての性格を強めました。そのため大正から昭和初期にかけてのレトロな温泉旅館が建ち並ぶ町並みも魅力になっています。

2004年には、温泉町としては日本で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。そして2007年には、石見銀山の構成資産として世界遺産にも登録されました。


目次

江戸時代からの伝統的な町屋が建ち並ぶ町並み


温泉津の町並み(島根県大田市)
江戸時代、温泉津は北前船の寄港地となったため町は商業や交通の要所となり、町屋や廻船問屋が建ち並びました。

温泉津の町並み(島根県大田市)
現在でもその時代の町の区画が今もよく残ってされており、町屋や廻船問屋などの伝統的な建物も多く見られます。

温泉津の町並み(島根県大田市)
古い町並みのエリアが約1kmに渡って続きます。

内藤家庄屋屋敷
内藤家庄屋屋敷
内藤家の初代、内藤内蔵丞は毛利元就の命を受けて、銀搬出の重要拠点である温泉津港口に鵜の丸城を築き、奉行に任命されました。関ヶ原の戦い後、毛利家が撤退すると、内藤家は温泉津に定住し、庄屋や年寄りを代々務め、廻船問屋や酒造業、郵便局の経営にも関わりました。この建物は、1747年(延享4年)の温泉津大火後に建てられたもので地域に残る最も古い住宅です。

内藤家庄屋屋敷
内藤家庄屋屋敷

大正から昭和にかけての温泉旅館が建ち並ぶ町並み


温泉津の町並み(島根県大田市)
石見銀山の採掘が衰退したため、港町としての活気は次第に減少していきましたが、温泉津は温泉地としての性格を強めていきました。

温泉津の町並み(島根県大田市)
明治から昭和にかけて温泉宿や旅館が増え、多くの人々が湯治や観光目的で訪れるようになりました。

温泉津の町並み(島根県大田市)
現在でも温泉津の温泉は人気で、江戸・明治・大正・昭和それぞれの時代の建物が立ち並ぶ町並みが温泉津の魅力になっています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR温泉津駅から徒歩約10分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(ゆうゆう館駐車場)があります。



訪問日:2024年5月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、温泉津の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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