【遺跡感動度】 |
目次 ・盛土 ・アクセス |
三内丸山遺跡は縄文時代前期中ごろから中期(紀元前3,900〜2,200年)にかけて、長期間に渡って続いた大規模な集落跡です。
縄文集落跡として日本最大級のもので、2000年11月に国の特別史跡に指定され、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されました。
この地に遺跡が存在することは江戸時代から知られており、1992年から大規模な発掘調査が行われ、竪穴建物跡、大型竪穴建物跡、大人と子供の墓、盛土、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、年度採掘穴、道路跡などがみつかり、当時の集落の様子が明らかになりました。
また、膨大な量の土器、石器、土偶、土製品、石製品、堀り棒などの木製品、漆器、縄文ポシェットと編布、骨角器などの他、他地域から持ち込まれたヒスイや黒曜石なども見つかっています。
現在、遺跡には住居群や倉庫群や3層の掘立柱建物などが再現されています。また、展示施設「縄文時遊館」には資料や出土品が展示されており、縄文時代の生活や環境について学ぶことができます。
竪穴建物は地面を掘って床を作り、柱を立て、屋根をかけています。
縄文時代中期(紀元前約3,000年)の竪穴建物を想定し、屋根は発掘調査の結果や民族例を参考に、茅葺き、樹皮葺き、土葺きの3種類で復元されています。
時代によって、平面型、柱の配置、炉の位置や構造に違いが見られます。
長さが10m以上の竪穴建物は大型竪穴建物と呼ばれています。この復元大型竪穴建物は長さ32m、幅約9.8m、床面積約250uであり、日本最大のものです。
縄文時代中期後半(紀元前約2,800年)のものが復元されています。
住居のほかに、集会場や共同作業場などとして使用されていたという説があります。
掘立柱建物は地面に柱穴を掘り、柱を立てたもので、地面に炉や床の跡が見つからないことから、高床建物であったと考えられています。
大型掘立柱建物は発掘調査の結果や柱穴の底部分にかかっていた土圧の分析結果などから全体の大きさが推定されました。大変巨大なものです。
大人は、地面に掘られた穴に埋葬されていたようです。土坑墓は道路の両脇に向かうように並んでいます。
墓からは、副葬品の石器やヒスイのペンダントなどが出土した例もあります。
盛土は竪穴建物や穴などを掘った時の土やゴミ、焼けた土や炭、石器や壊れた土器などが同じ場所に長期間継続して棄てられ、小山のように盛り上がっており、現在、北盛土・南盛土・西盛土の3カ所が確認されています。北盛土や南盛土では土偶が多く見つかっています。
【電車でのアクセス】
JR青森駅から車で20分
【車でのアクセス】
JR新青森駅から車で約10分
三内丸山遺跡センター前に大駐車場があります。
三内丸山遺跡センター入場料金
◆一般:410円
◆高校生・大学生:200円
訪問日:2021年11月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、三内丸山遺跡についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。