古旅 日本の古い町並み

大洲の町並み(愛媛県大洲市)


2022年3月4日  古い町並み , 愛媛県

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江戸時代から明治時代にかけての町割が残る通りには武家屋敷と商家が通りを挟んで建ち並んでいます。白壁や土壁の土蔵が残る「おはなはん通り」や肱川 のほとりにある臥龍山荘、大洲城など見どころたくさんです。


目次

おはなはん通りと周辺の町並み


昭和41年のNHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」のロケ地になったことから「おはなはん通り」と名付けられました。白壁や土壁の土蔵が残る町並みを見ることができます。


おはなはん通り

おはなはん通り

大洲の町並み

大洲の町並み

大洲の町並み

臥龍山荘(がりゅうさんそう)


臥龍山荘は 肱川 (ひじかわ)のほとりにある三千坪の山荘で、大洲藩3代藩主 加藤泰恒が「蓬莢山(ほうらいさん)が龍の臥す姿に似ている」ことから”臥龍”と命名したといわれているそうです。肱川川から見上げると高く積まれた石垣 の上に建つ山荘が壮観です。臥龍山荘の中は観覧料(大人500円)が必要になります。
詳しくはこちら(臥龍山荘公式サイト)


臥龍山荘

肱川の方から見ると城のような石垣が組まれているのが見えて山荘の巨大さがよくわかります。
肱川の方から見ると城のような石垣が組まれているのが見えて山荘の巨大さがよくわかります。

大洲城


鎌倉時代末期にこの場所に築城されたのち、江戸初期に築城の名手、藤堂高虎等によって大規模な修築が行われました。以降、伊予大洲藩の政治と経済の 中心地として繁栄してきましたが、明治21年(1888年)に老朽化のため天守は解体されたようです。現在の美しい天守は平成16年(2004年)に復元 されました。


大洲城

石垣の端に立つと肱川と大洲の街が一望できます。
石垣の端に立つと肱川と大洲の街が一望できます。

肱川からみた大洲城。地蔵ヶ岳に築城したことからかつては地蔵ヶ岳城とも呼ばれていました。
肱川からみた大洲城。地蔵ヶ岳に築城したことからかつては地蔵ヶ岳城とも呼ばれていました。

おおず赤煉瓦館


大洲城を後にし、趣のある商店街を通り抜けると「おおず赤煉瓦館」に辿り着きました。明治時代後期に銀行として建築されたレンガ造りの建物で、大洲市指定有形文化財に登録されています。現在は1階は物販スペースで、2階はカフェのような感じになっています。
入館料:無料 (9時〜17時)



おおず赤煉瓦館の2階から
おおず赤煉瓦館の2階から

ポコペン横丁と昭和の雰囲気がある町並み


昭和30年頃の商店街を再現しています。2011年に訪れたときには多くの展示がありましたが、2018年の西日本豪雨による水害の影響でしょうか、2022年に再訪した際にはかなり展示物の数が減ってしまっていました。


ポコペン横丁(2011年) 昭和40年代生まれの私にも懐かしいものがいっぱいでした。
ポコペン横丁(2011年) 昭和40年代生まれの私にも懐かしいものがいっぱいでした。

ポコペン横丁(2022年)展示物の数が減ってしまっていましたが何とか存続してくれていてよかったです。
ポコペン横丁(2022年)展示物の数が減ってしまっていましたが何とか存続してくれていてよかったです。

大洲の街

大洲市の街


今回は2回目でしたが、初めてきたときからどこか懐かしく愛着を感じる町です。


アクセス


道後温泉(松山市)から車で約1時間、大洲肱南(おおずこうなん)ICを降りて約3分で「まちの駅あさもや」に到着しました。電車の場合は伊予大洲駅で下車すると「まちの駅あさもや」まで徒歩20分のようです。各方面からの大洲市へのアクセス、電車・バスでのアクセスは以下を参照してください。

大洲市へのアクセスについて詳しくはこちら(大洲市観光協会)





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