【町並み感動度】 |
町並み保存度
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善徳寺や土蔵群など素晴らしい建造物が保存されており一見の価値がありますが、連続した古い町並みはあまり残されていない印象です。 | |
町並みの規模
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町並みの規模は大きくありませんが、全体にレトロな雰囲気の町の散策を楽しめます。 | |
観光魅力度
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古い町並みは連続していませんが、見ごたえのある見どころが点在していて観光を楽しめます。 |
富山県東礪波郡にあった城端町(じょうはなまち)は市町村合併によって南砺市が発足し、城端町を含む7自治体は2004年(平成16年)に廃止されました。
戦国時代にこの辺りを治めていた土豪、荒木氏が拠っていた城端城の城下町であった城端ですが、1559年に善徳寺が福光から城端に移されたことにより、その門前町として繁栄しました。
城端では五箇山地域の村々などで作られた繭や生糸を使った絹織物の生産が盛んに行われ「加賀絹」として京都や江戸へと運ばれました。
また、五箇山への入口に位置することから五箇山貸商人を生み出しました。これは五箇山の山村が雪のため往来が困難になる冬期に備え、冬明けに生産される生産物の独占的取引を前提に村民への金銭の貸付を行ったものです。
加賀藩では貸金業を禁じていましたが、藩は五箇山の住民の生活を考慮し城端と井波の2つの町に限って公認していました。
現在も石垣のある町屋や豪商野村家の土蔵群など往時の面影が残す町並みを見ることができます。
目次 ・善徳寺 |
この土蔵群は、1903年ごろに銀行家の野村利兵衛氏が自宅とともに建造したものです。現在は土蔵群「蔵回廊」として、城端の歴史や文化、先賢の功績などの展示館として使用されています。
1887年(明治20年)から2004年(平成16年)まで120年間も続いた銭湯で、1930年(昭和5年)頃の建築です。
関東大震災後に銅板張りやモルタルで耐火性と広告意匠性を持たせた建築が流行しましたが、この建物にも銅板張りが取り入れられています。
坂道に沿って石垣と細かい縦格子を基調とした町家が立ち並んでいます。
【電車でのアクセス】
JR城端駅より徒歩15分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に広い無料駐車場(市営西新田駐車場)があります。
トイレ完備です。
訪問日:2021年10月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、城端についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。